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カメラマン平井慶祐氏が伝える幸せの形

〜被災者がファインダーに笑顔を向ける日〜

インタビュアー 小松  大祐 

前書き

日本は災害大国としても知られている。2024年1月1日という新しい一年の始まりは、マグニチュード7.6という大地震が能登半島を襲い、200名を超える死者や多くの負傷者を出したほか、震源の中心である石川県では、全壊、半壊、一部損壊を含め40,000棟を超える家屋が被害を受け、現在も多くの方々が余震の恐怖に怯えながら、不慣れで不自由な避難生活を余儀なくされている。また、本稿を読んでいただいている米国の皆様に多大なご支援をいただいた2011年3月11日の東日本大震災から、今年で13年が経とうとしている。東日本大震災による地震・津波の被災地域においては、現在までに交通インフラである鉄道、港湾、道路については全て復旧しており、今後、日本政府や自治体においては、ハード面の整備から、被災者の心のケアやコミュニティの形成といったソフト面への対策にも重点を置いて復興を進めていくとしている。そんな折、米国笹川平和財団が東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県石巻市在住の「平井慶祐」による「Recapturing Happiness」と題した写真展を在アメリカ合衆国日本国大使館文化広報センター(1150 18th Street, N.W., Suite100, Washington, DC, 20036)にて3月13日(東部日時)まで開催中だ。平井氏は、石巻市とは縁のない香川県の出身であるが、震災後、ボランティアとして石巻市に入り、以来12年に亘って同地にて生活を営んでいる写真家である。この写真展は、平井氏が住む石巻の方々が被災後に掴んだ幸せにフォーカスを当てたもので、凄惨な被災写真や美しく生まれ変わった復興後の街並みではなく、石巻市に住む一人一人の笑顔を切り取った写真が並ぶ。今般、インタビュアーを務めた私は、石巻市から100キロほど北に位置する宮城県気仙沼市の出身であり、東日本大震災の一被害家族として、震災後の復旧や復興に海上保安官として携わった立場から、平井氏と対談する機会を得ることができた。本稿では、平井氏のボランティアとしての経験や写真に写る笑顔を通して皆様に伝えたい人と人との繋がりについてご紹介したい。

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右から​平井さん、小松.研究員

小松 早速ですが、アメリカのワシントンD.C.で今回の写真展を開催するに至った想いを教えていただけますか?

 

平井さん 最初のきっかけはというと、2021年に最初に石巻でこの写真展を開催した際に、藤崎元駐米日本国大使が奥様と一緒に見にきてくださった際に、当時はコロナ禍でしたので、アメリカのどこかで、というよりも、オンラインでも発信してはどうかというお話が出たことかと思います。この話は結局立ち消えになってしまいましたが、石巻にボランティアとして「助ける側」の立場として来たのに、石巻で多くの人と接しているうちに、石巻の方から、人と人のつながりの大切さというものを学ぶことが多く、いつの間にか「教えられる立場」に変わっていきました。共に悪戦苦闘しながらも「一緒にご近所さんとして生きていく」ことが楽しくて、現在まで12年に亘って石巻に住んでいるわけですが、このような感覚を遠くの人にも知って欲しいと気持ちが写真を撮っているうちに大きくなって、今回の開催に至りました。ただ、どのようにしたら伝わるのか、伝え方という意味で試行錯誤いたしました。

 

小松 伝え方ということですが、東日本大震災の写真や映像は、被害の甚大さを伝えるようなものが多いのかなと思います。ところが、今回の写真展のテーマである「Recapturing Happiness」、幸福を取り戻すという視点で撮られた写真は、そういった見る人にとっては怖いと感じるような写真ではなくて、どれも素敵な笑顔をした人の写真ばかりで大変驚きました。なぜ、このような写真を撮ろうと思ったのか、また、どのようにしてこのような写真を撮ることができたのか教えてください。

 

平井さん 当初、被災地と呼ばれる石巻に行こうと思ったモチベーションは、怖いもの見たさというのもあったし、1000年に一度と呼ばれた災害から、生き残った被災地の人が、どのように生きていくのかというドキュメンタリーを間近で見たい、めっちゃへこんだ後に、人って、街って、どうやって復活していくんだろうっていうことへの関心が根源的にあったんだと思います。そこにきっと学びがあるはずで、そこを写真に収め、見てくれた被災地以外の人たちのパワーをお金やボランティア活動として被災地に集めたいという気持ちがあったのかと思います。当時は、被災者の顔を写してはいけないというような風潮があったのも事実です。ただ、私はボランティア活動を通して、石巻の方と仲良くなって、そしてちゃんと写真を撮ることに納得してもらって写真を撮り続けて来ました。報道機関の方々は震災の被害状況を伝えるという役割を担ってくれていたので、私は人にフォーカスを当てた写真を撮ることができたのかもしれません。結局のところ、その人が置かれた場所や立場で、やれることを一生懸命にやるということが大切だと思います。今回の展示は震災から10年経ったあと、11年目に「いつ?」「どこで?」「誰と撮りたい?」と問いかけながら、特別な記念写真を残そうと1年間かけて撮影させて貰いました。ニュース性の無い、ごく普通の日々の中の方が、幸福ってなんだろう?ということに気付けるような気がしたからです。

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出典: 平井慶祐

小松 そのようにして撮り溜めた写真を、ワシントンD.C.で展示することの狙いを教えてください。

 

平井さん 写真の中に、アメリカだったり、ヨーロッパだったり、アジア、中東の人であっても伝わるものがあるんじゃないか、確信はないけれど、写っている人たちの想いに触れて、見た人が感じた印象や感想を受け取ることができたら、私自身も文化や地域、抱えている問題の違いというものが学べるのではないか、それでなるほどね、って共通理解が生まれるのでは無いかと思ったわけです。これは笑い話なのですが、東日本大震災からちょうど1年というタイミングで、ピースボートに乗船させてもらい、寄港した多くの国で震災の写真を展示させてもらいました。サウジアラビアでは入港はできなかったのですが、船の方にサウジアラビアの方々が料理を持って来てくれて、パーティを開いてくれました。その時に開催した写真展で、女川のおばあちゃんがほっかむりをして瓦礫を片付けている写真を見たサウジアラビアの方が、日本にもムスリムの方がいるんだね、ムスリムの同胞が心配だわ、という話がありました。そのおばあちゃんはムスリムではないのですが、こんな受け止め方が面白いな、こんなに違うんだ、あるいは写真から共通項を見つけたり、寄り添いたくなるような気持ち、こんな小さな勘違いすら会話のキッカケになって、サウジアラビアの人と仲良くなれるきっかけになるじゃないかなと感じました。

 

小松 今回のワシントンD.C.での写真展でも、写真を通してアメリカの人たちと仲良くなる、写真から石巻や日本の人との共通項を見つけてもらうという狙いがあるということでしょうか。

 

平井さん それはすごくあると思います。それは石巻の人からすると、別の世界だと思っていたワシントンD.C.の人が、写真や写真のバックストーリーから、同じような経験や気持ちを抱いてくれるとしたら、石巻の人にとっても、ワシントンD.C.の人にとっても、人と人とが繋がり合うきっかけを与えてくれるんじゃないかなって思います。そして、この写真展を開催していただいた感想や私が見聞きしたことを石巻で一緒に写真集を作ってくれた仲間や写真に写っている方に伝えたら、会っていなくても、ワシントンD.C.の人を身近に感じてくれんじゃないか、私の写真がワシントンD.C.で飾られたのよ!っていう話を聞いた人が、それなんのこと?って聞けば、さらに人と人とのつながりが生まれるんじゃないかなって。

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出典: 平井慶祐

小松 今回のワシントンD.C.での開催を一つのマイルストーンとして捉えた時、今後、アメリカの別の地域や他の国で同様の写真展を開催したいというモチベーションは得られましたか。

 

平井さん 今回の展示に当たり、写真のバックグラウンドの英訳や、どう見せたらいいかということを一緒に考えてくれた方がいて、実際に見てくれた方の感想を聞いても、この形であれば、他の言語や他の地域でも展示として成立するのではないかと今回の展示で改めて思いました。

 

小松 今回展示されている写真からも、平井さんが石巻の方から学んだという「人と人との繋がり」というもの感じました。日本では新年早々、能登半島地震が発生しましたが、この人と人の繋がりが災害時において、どのように活かされるのか教えてください。

 

平井さん 災害支援の際によく言われることですが、支援のミスマッチをある程度解消できるのではないかと思います。もちろん、行政の方も過去の災害事例の検証から、本当に被災者が必要とする支援物資について整理されていると思いますが、地方に行けば行くほど、行政に対する遠慮から、自分が必要としているものを伝えないという傾向があって、これが支援のミスマッチの原因の一つになっているのかなと思います。ですが、現地に入ったボランティアであれば、現地の方のお手伝いをしているうちに、必要としているものに気づいたり、もっと気軽に聞き出すことができるのではないでしょうか。また、被災した人同士でも、人と人とのつながりがあれば、お互いに足りていない物資を融通し合って、発災直後の急場を凌ぐことができるかもしれません。例えばですが、「私は米は持っているけどお米を炊く水がない。」という方が、「私は水は持っているけど、食べるお米がない。」という方と繋がれば、その日、温かいご飯が食べられるわけです。私は、人と人との繋がりが希薄だと言われている首都圏で、災害が起きた時、このような助け合いができるだろうか、また、隣にどんな人が住んでいるのか分からないような団地で、隣の部屋に住んでいる老人が箪笥の下敷きになっていても、誰も気づいてあげられないという状況が生まれてしまうのではないか、ということを懸念しています。

 

小松 なるほど。行政が拾い上げ辛い情報の収集や、目が届きにくいような場所への支援などに活かされるということですね。確かに東日本大震災の時は、被災地の人から本当に必要な支援物資の情報を得ることに苦労したのを覚えています。地方の方は本当に困っていても、なかなか行政に対して必要とするものを遠慮して伝えられなかったり、耐えようとする方が多いように感じました。その点、ボランティアとして日々、被災地の方と顔の見える関係を構築されていれば、そういった情報が得やすくなるというのは非常に納得できます。情報という観点では、伝え方も大切かと思います。能登半島沖地震では、NHKのアナウンサーによる鬼気迫る非難の呼びかけがありましたが、行政側としても、命を守る情報をしっかりと届けられるように、より簡単な言葉で危険が迫っていることをお伝えしたり、視覚的にも工夫するようになりました。例えばですが、気象庁では数字や、紫や赤など色を使って、危険を大きさを伝えるようになりました。また、津波警報に関しては、これまでのテレビやラジオ、携帯電話、サイレンといった方法に加えて、「津波フラッグ」という赤と白の市松模様の旗を海岸にいるライフセーバーの方が降ったり、遠くからも目立つ背の高い建物に掲げることで、聴覚に障害をお持ちの方や、波音や風で音が聞き取りにくい遊泳中の方、電源が喪失してテレビ等で情報が伝えられない場合のアナログな伝達手段として用いるようになりました。

 

平井さん 災害警報が分かりやすい言葉や視覚的な情報と組み合わさることで、より効果的な非難が促されると思います。「津波フラッグ」については知りませんでしたが、コミュニティの中で影響力の強い方が、人と人との繋がりを通して周知していくことで、行政の取り組みが現地の人にも広がりやすくなると思います。

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出典: 国士交通省 気象庁

小松 人と人との繋がりの大切さですね。ボランティア活動等を通して得られたご経験や知見から、災害への備えとして、一人一人ができることは何でしょうか?

 

平井さん 実際に災害が起きたことを想定することが大切なのではないでしょうか。災害への備えから防災セットを購入している方は増えて来ていると思いますが、その防災セットを買っても実際に使ってみたという人は少ないように感じます。これと同じように、災害時の避難ルートは知っていても、実際に歩いてみたという人も少ないのではないでしょうか。防災セットを開けて、それを使ってみれば、万一の時に使い方が分からずに困るということもなくなりますし、避難ルートを歩いてみれば、息が上がってしまったり、避難時に詰まってしまう坂道ということに気づくかもしれません。小学校等での避難訓練も校庭に出て点呼をして終わりではなく、避難ルートを通って高台まで避難するところまでやらないと、いざという時に、先生も子供も戸惑ってしまうと思います。

 

小松 「経験は最良の教師である」という諺そのものですね。能登半島地震から1月が経ちました。現地では現在も不自由な生活をされている方が多くいらっしゃいますが、現在、平井さんが懸念していることは何でしょうか。

 

平井さん 今一番懸念していることは、災害関連死ですね。対応が追いつかない側面はもちろんありますが、冷えたお弁当ばかり食べていては栄養面の偏りから、体調を崩したり、既往症が悪化するなど、避難生活が長期化することによって生じる健康被害を懸念しています。これを防ぐためには、炊き出しなどによる具沢山のお汁など、温かい食べ物が継続的に提供される環境が大切だと思います。

 

小松 石川県は、災害関連死を防ぎ、当面の落ち着いた生活環境を確保するために、被災地以外の避難所へ移るよう二次避難を進めていますが、なかなか進んでいないとの報道もあります。

 

平井さん 東日本大震災の時もそうでしたが、行政が場所だけ提供しても人は動かないんですよね。一旦、気持的に冷静になる時間も必要でしょうし、住み慣れた土地を離れて隣近所の知り合いもいない場所にいくのは不安だという気持ちも理解できます。またもう一度、元の場所に帰れるという前提がなければなかなか二次避難しようという気持ちにはなりにくいと思います。日本人の国民性もあると思いますが、まだ周りにも二次避難している人が少ないのも影響していると思います。ここでも、コミュニティ単位で避難するであるとか、影響力のある人が移動したり、ご近所さん同士で地道に声をかけることによって、事態が変わることもあるかもしれません。

 

小松 改めて人と人との繋がりの大切さというものがわかりました。最後に、写真展に来られた方にお伝えしたいことを教えてください。

 

平井さん 写真だけでは、こうした災害は、どこか遠くの知らない人の話と受け止められるかもしれないというのは、ある程度仕方ないかなとは思っているんですが、じっくりエピソードも読んでもらって、自分と置き換えてみて欲しいな。これらのエピソードは、全くニュース性のあるものではないのですが、何か自分にも当てはまるな、一緒だなって感覚を持っていただければ、それが一番だなと思います。だって被災者も普通の人間ですから。そして、その中から自分にとっての「幸福のかけら」として受け取って、小さなアクションを起こしてもらえたら嬉しいと思います。例えば疎遠になっている両親に電話をしてみるとか、普段言えないような感謝の気持ちとかを伝えるとか、結構身近で簡単にすぐできることってあると思うんですよね。そこからまた幸福を感じていただけたら嬉しいです。

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とがき

東日本大震災から13年が経とうとしている。毎年3月11日が来るたびに、東日本大震災で家族や大切な人を失った人、仕事を失った人、故郷から離れた土地で寂しく暮らす人、こうした人たちが悲しい顔で悲しい災害のことについて話している様子がテレビに映る。被災した人たちは、いつまで悲しい人たちでいなければいけないのだろうか。被災した人たちも、友人と楽しい時間を過ごしたり、新しい家族を作ったり、日々の何気ない幸せをテレビで話しても良いはずである。私自身、日本で働いているときもDCに来てからも、会話の最中に故郷の話に及んだ際には、必ずと言っていいほど「震災は大変でしたね。」と声をかけられる。その度に震災直後の悲惨な状況を鎮痛な面持ちで説明してきた。今回の平井氏の写真展に足を運び、そうした顔をする必要がないということに気づき、救われた思いがした。

そして、平井氏の写真や言葉から感じた、「人と人との繋がり」は、災害への備えとして強靭な交通インフラを整備する上での重要な意味を持っていることにも気づいた。私は、国土交通大臣室勤務時に出席した地方道路の開通式典で、工事を担当した者が、道路は「ヒト、モノ、そして命を繋ぐ道」であると話していたことを覚えている。大きな幹線道路が少ない石川県で発生した能登半島地震では、まさに救助活動や支援物資の輸送、救急搬送が妨げられ、地方の交通インフラの脆弱性が浮き彫りになった。そして、東日本大震災の教訓は活かされているものの、被災地のニーズとのミスマッチも生じている。このミスマッチを解消する鍵は人と人との繋がり、交流である。交流は交通インフラが整って、人と人が会うことによって生まれる。交通インフラの強靭化は、スムーズな救援・復旧・支援活動が可能にするだけでなく、そこに住む人がいち早く幸せを掴み直すためにも重要な政策であると思いを強くした。

BIO: Keisuke Hirai

ひらい けいすけ 

平井慶祐   写真家/映像制作

 

1979年 香川県まんのう町生まれ 宮城県石巻市渡波在住 

「人生とまるごと関わる」スタイルで人間の写真を撮らせてもらい続けるフリーの写真家。カナダ遊学中に好きな子の一言で写真教室に通い始め現在 に至る。負けず嫌いで無類のジジババッ子。心と心の距離が限りなくゼロに近い 「人間の写真」 を人間として撮らせてもらい続けたい。カンボジア、ネ パール、内モンゴル、南アフリカ、どこに行っても人間と人間の関係が撮影よりも優先してしまう持ち前のおせっかいな性格で、地雷撤去、植林活動、 地域活性化、国際支援や国際交流といった活動に首を突っ込む。「コミュニケーションツールとしての写真」を掲げ、撮影、展示、イベント企画、写真ワー クショップ等を全国で開催。3.11に東日本大震災が起こり、4月から災害ボランティアNPOの記録広報係として被災地で活動。その後石巻に移住し、 避難所で出会った海苔漁師との出会いがキッカケで現在は船酔いしない船上カメラマンとして水産業の撮影、動画制作などを行っている。

 

書 籍

2007年

1st写真集『太陽みたいな笑顔の写真をいっぱい撮って太陽みたいな笑顔をもっともっと』出版 (日本自費出版文化賞グラフィックス部門入選) 

2010年

2nd写真集「YELL TO YOU エール TO キミ~エールを贈る写真集~』出版

 

写真展

2009年

『-Captured Spirits of Cambodia-』開催。(@カンボジア王立プノンペン大学内)

2011年

被災地の写真展『LIFE is still wonderful WORLD is still beautiful.』ニューヨーク)

2017年

『つづく展』石巻に根っこの生えた写真家たちの写真展を石ノ森萬画館にて開催 

『つづく展2』石巻に根っこの生えた写真家たちの写真展 Reborn-Art Festival Collaboration Project を石巻市市内3カ所で開催。 (荻浜小学校展示、仙石線トレインミュージアム、絆の駅NEWSEE) また、石巻日日新聞にて号外写真集を製作

2021年

写真展『10年の幸福写真』を石巻市指定文化財旧観慶丸商店にて開催

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